思想篇
第一講

早く読むと得する本、早く読むと損する本

古典とはゆっくり読むための本

速読術というのが、もてはやされています。

本を速く読むことで、ビジネスの効率があがって、ライバルよりも優位に立てるという論法で、ビジネス書コーナーには数多の「速読本」が置かれています。

速読はそもそもアメリカが発祥の地です。J・F・ケネディ大統領が非常に短い時間で本を読みこなすことができた。それが1つの象徴ともなり、速読のできる人間は大統領になったり、社会的に大成功するんだろうという思考ができたのでしょう。

やはりビジネスの世界はスピードが大切です。必要な情報を速く読んで、速く実践に生かすに越したことはありません。「速度」は「量」に直結します。1日に1冊読めれば、1年に365冊読める。量のストックから「質」が生まれてくる部分もあるので、「本を人よりも速く読む」ことにはそれなりの意味があるでしょう。

その一方で、なんでもかんでも速読で片づけようとする姿勢は問題です。自分の人生観に多大な影響を与える哲学書とか文学書を速く読むことはナンセンスであり、むしろゆっくりと反芻しながら読んだほうがいい。加藤周一さんは『読書術』(岩波書店)の中でこう言っています。「古典とはゆっくり読むための本なのです」(P.52)

結局、本には2種類あるのです。「速く読んだほうが得をする本」と「速く読んではいけない本」です。

速読も意味がないというわけではなく、使い道は当然あります。私もはじめはゆっくり読んでいて、時間がなくなってくると、残りページを速く読むことがあります。すべての本を速読で読む必要はありません。

皮肉をいえば、速読術を薦めているような本は速読で読めばいいのかもしれません。文芸書や哲学書はゆっくり読むのに対して、速読を説いている本は速読でと考えてみてはいかがでしょう。

過剰な宣伝文句

すべての本を速読しようという考え方には違和感を覚えるだけでなく、得てしてそうした速読本の類には過剰な宣伝文句が目につきます。

アイディアを元にして事業を始めるとか、経営者として組織にどういう影響を与えようか考えているといった人たちは別ですが、いま現在、組織人として会社の中でそれぞれの任務を果たそうとしている人たちに、「あなたの年収が10倍になる読書術」などと呼びかけるのは確信的なウソとしか思えません。

哲学、倫理学、心理学、宗教学、歴史、地理、法律、経営、経済、社会、民族、数学、物理、化学、科学……本の分野を数え上げただけでもキリがありません。また、1つの分野だけでもたくさんの本が刊行されています。これだけの本があるのに、ただ本さえ速く読んでいれば、金が儲かるというのはとてもおかしな話です。

たとえば、なぜ哲学書をビジネスマンが読まなくてはいけないのか? 結局、自分の思考法をつかむことが大事なんです。考え方、世界の見方、そうしたフレームや視点を作ってしまえばどんな問題にも対応できる。哲学書などは、そのための思考法作り、フレーム作りに必要なのです。

では、それがすぐに仕事に結びつくでしょうか? すぐに年収が上がるでしょうか? あがるわけがありません。

本を読むということが金儲けの手段だというなら、極論をいえば、金持ちなら最初から本を読まないのでしょうか? やはり、おかしな考え方だと言わざるをえないのです。

速読コンプレックスからの解放

なんでも速く読まなければならない、という風潮がありますから、読書へのスピードについて不安に思う人も出てきているようです。

本を読まなくなる人の一部には、本を速く読めるようにならねばならないという強迫観念、そして、自分は速く読めないというコンプレックスがあるのかもしれません。

そこに警鐘を鳴らした本が平野啓一郎の『スローリーディング』です。

平野氏は同書で、読書を楽しむ秘訣は何よりも速読コンプレックスから解放されることであると述べています。本を早く読まなければいけない理由は何もない。早く読もうと思えば、早く読めるような内容の薄い本へ自然と手が伸びがちである。その反対にゆっくり読むことを心がけていれば、時間をかけるに相応しい手応えのある本を好むようになるだろう、というわけです。これはまったくそのとおりだと私も思います。

本当の読書は表面的な知識で飾り立てるのではなく、内面から人を変え、思慮深さと賢明さをもたらし、人間性に深みを与えるものです。そして何よりもゆっくり時間をかければ、読書は楽しくなる。

闇雲に活字を追う貧しい読書から、味わい深く考え、感じる豊かな読書へ――と平野氏は主張していますが、私が伝えたいこともこれに尽きるといっていいでしょう。

ですから、私自身は読書スピードを上げようと思って努力したことはありません。もっと速く読めるようになりたいとも思いません。反対に、もっとゆっくり読めるようになりたいとさえ思っています。

本に追い立てられる

その意味では、じつは「本を読むのが遅い」という方が羨ましいのです。読まなければいけない本が常に100冊以上待っているので、自然に速くなってしまい、本に追い立てられるように感じることもあります。

いつも読みたい本、読まなければならない本がたくさん控えており、たとえば2泊の出張には最低でも6冊の本がバッグに入っています。バッグも重い。1週間ぐらいの海外出張では、20冊程度持っていこうとすると、トランクも重くなります。帰りは3冊ぐらいしか残っていなくて、読む本がなくなり、やむをえず機内誌や映画を見たりします。私は「読書依存症」気味なのでしょう。

どうも、最近は、「さあ、この本が読めるぞ」というよりも「今度は、この本を読まなければならない」という感じになってきつつあるのかもしれません。純粋な読書の喜びから離れつつある危険を感じています。

私は本が大好きです。本を手に取るとウットリします。書店や古書店はこの世の楽園です。書斎はわが魂のシェルターです。だから、大好きな本を義務などで読みたくないのです。いつでも、ワクワクしながら読みたいのです。そのために、少し読む冊数を減らして、ゆっくりと読書を味わいたいのです。

世界一濃密な読書空間

「今いちばん行きたい場所はどこで、そこで何をしたいですか?」というアンケートをいただいたことがあるのですが、「行きたい場所は刑務所で、そこで読書三昧の生活を送りたい」と本気で回答しようかと思ったくらいです。

たとえば、「ホリエモン」こと堀江貴文氏は、獄中7カ月間で200冊ぐらいの本を読んでいます。また、元外務省事務官の佐藤優さんも『獄中記』を出版していますが、その中で「拘置所くらしでは毎日本が読めて良かった。自分の家を建てるとしたら、刑務所(拘置所?)と同じ間取りで建て、そこに籠もって本を読んで暮らしたい」と書いています。

これを読んだとき、私は今まで刑務所から出てきた人の言葉で、一番素敵な台詞だと思ったものです。私は佐藤優氏の『獄中記』を読みながら、獄中での読書生活が羨ましくて仕方ありませんでした。

刑務所、独房というのは、外からの連絡も電話も入りませんし、本を読むしかない。あれほど集中して本が読める場所はありません。読書好きな人にとってはユートピアかもしれません。

刑務所以外で最高の読書スポットは飛行機や新幹線の中でしょう。特に飛行機は座席に固定され、シートベルトまで締めて動けないわけですから、もう逃げられません。本を読んで、読んで、読み続けるしかありません。私は夜間飛行で機内の照明が落ちた時間を好みます。他の皆は寝たり、映画を観たりしていますが、私はひたすら読書のみ。喉がかわけばキャビンアテンダントを呼び、コーヒーや酒を持ってきてもらう。それをちびちび飲みながら、またひたすら本を読む。周囲は暗いから、いくらでも集中できる。まさに夜間飛行の機内は「読書の王国」だと思います。

ちなみに、私はどれほど長いフライトでもほとんど寝ません。映画も観ません。ひたすら本を読み続けます。だから、目的地に着いたときは、いつも睡眠不足ですし、必ず時差ボケになります。

読書は恋愛

私は本当に本が好きで好きでたまらないのです。できれば、1冊の本を愛撫するかのごとく撫で回しながら、ゆっくりと味わいたいと思います。そして、読書する喜びという至上の幸福を取り戻したいと思います。

松岡正剛氏は「読書は編集」だと語っています。松岡さんに対抗して、私なりの概念を提示するとすれば、「読書は恋愛」だと考えています。

まず、人は本を愛さなければいけない。そうすれば、本から愛されることもあるかもしれない。もちろん、片思いに終わることが多いでしょう。でも、愛情を傾ければ傾けるほど、読書の快楽は大きくなるはずです。

本は読むだけのものじゃない。愛するものです。できれば、撫でまわし、匂いを嗅ぎ、頬ずりする。舐めることはしないが(笑)、揉んだりはする(本気)。本を愛すれば愛するほど、読書は豊かになります。速読によって、「使える部分」だけを読むという読書だけではなく、こういう読書のかたちだって、当然あっていいのです。