技術篇
第十一講

読書の場を演出してみよう

演出の重要性

私の書斎の写真を掲載します。

初めて訪れた人がぎょっとするくらい、神秘主義に凝ったつくりになっています。そうしたグッズがたくさん揃っていて、呪術空間みたいなんですね。自分ではこれからもっともっとグッズを集めて、魔人の部屋みたいにしたいとも思っています。

通常、会社にいるときに、読書はしません。

私が読書に使う時間というのは、出張での移動時間やホテルの部屋での時間、それに自宅の書斎だけです。

読書論自体で興味を持ったのは、渡部昇一さんの『知的生活の方法』です。この中で渡部さんは、まず環境が大切だから、万難を排して書斎を必ず持てと述べています。知的空間、自分の精神の巣を築いていくことの重要性を語っているのですが、この形から入るというのはじつに重要な点です。私は気分から入るほうですから、場が整っていないと、心もついてこないというようなところがあります。

渡部昇一さんの方法論をご紹介しましょう。60歳を過ぎてラテン語を勉強し直すとき、日常生活でタクシーをよく使っている渡部さんは、タクシーに乗っている間にはラテン語しか読まないように決めたそうなのです。そして、ラテン語の辞書を端から端まで2~3年でマスターしたというのです。

私が影響を受けた安岡正篤氏の読書法があります。安岡さんは政治家、財界人など、有力者の人脈が多く、毎晩接待を受けていました。するとどうしても酒が入ることになり、家に帰ってきても酔っぱらっている。そんなときにでも絶対に本は読む。さて、どうするか? 部屋で真剣を振りおろす。それで気合いを入れ直して、本を読んだのだといいます。これなども一種の演出術だと思います。

演出で苦手意識を克服する

せっかく読書という楽しみを行なうのですから、その場も自分流にアレンジして、自分のためだけの空間にしてみてはいかがでしょうか。

自分の場所を持つことは大切です。公園のベンチでも、カフェやファミレスの座席でも、自分だけの「とっておきの読書スペース」を作っておけばいいと思います。もし本が読めない読書のスランプ状態になっても、その場所に座ればスムーズに読めるかもしれません。

面白い本ならば内容に集中しているので、別に場所は関係ないでしょう。満員電車の中だって、いくらでも読書できます。

しかし、苦手意識があったりする本の場合は、ぜひ場所を演出することで、苦手意識を払拭するように心がけてみることも面白いはずです。

またたとえば、小説を登場人物の時間の流れにあわせて読むといってみたこともできます。村上春樹の『アフターダーク』は深夜の5~6時間の間に起こった物語ですが、それくらいの時間帯に、それくらいの時間をかけて、主人公に感情移入しながら読むのも一興です。

私は出張や旅行に行くとき、行き先に関係する内容の本を読む習慣があります。

イギリスならシェイクスピアの本を、イタリアのローマなら塩野七生の本を、松江ならラフカディオ・ハーンの本を、金沢なら泉鏡花や西田幾多郎の本をまとめて持参し、一気読みします。やはり、その本の舞台や著者にちなんだ場所だと親近感が湧いて楽しく読め、理解が深まる気がします。

これもまた、私なりの読書術の1つです。人それぞれの方法論でやってみましょう。

書見台の利用法

私の書斎には「書見台」があります。書見台に本をセットしたら、姿勢を正して正座します。そして、ゆっくりと1ページずつページをめくっていく。

この書見台で読むのは、「これぞ」と決めたリスペクトしている本だけです。

安岡正篤氏のいう「真剣な読書」にふさわしいものです。『論語』『孟子』『老子』『荘子』などの中国の書物が多いですが、マルクス・アウレリウスの『自省録』とか、パスカルの『パンセ』とか、『万葉集』や宮澤賢治の詩集なども書見台で読みます。

要は、速読にふさわしくない本ということになります。速く読んでもいいような本を書見台に乗せても、かったるいばかりで無意味です。速読すると損をするような本を書見台に乗せれば、じっくり内容を味わえます。そうした意味で、書見台が似合う本は命の通った「真剣な読書」をするに足る本ばかりということになります。

書見台でじっくりと読書をしていると時間を忘れます。だから、最後は足も痛くなって、立ち上がれなくなってしまったり……。

これらは、自分で効果的にインプットするためにする作法です。読書がうまくいくのもいかないのも、あなたの心1つなのです。心をその気にさせるための演出も必要になってくるのです。

あるときは著者と一対一で対話していると思い込む、またあるときは著者を論破しようと食い入るようにその主張を聴いていると思い込む、などといった、自分をその気にさせる演出力も読書上手になるためのコツなのです。