技術篇
第九講

難しい本は染み込ませる

難しい本をどうする


エマニュエル・レヴィナスというフランスのユダヤ人哲学者がいます。内田樹さんが専門にして研究しています。私にとって、彼の思想はなかなか難しいものです。彼の著作のほとんどは読みましたが、やはりはじめはとっつきくにかったのです。はっきりいうと、一読してもなかなか頭に入ってこないんですね。

でも、わからないなりに活字を追っていって、読んでいって、そんな中、一部でもわかることがあったら線を引いていく。そういうことをしているうちに、作者が言わんとすることがだんだんと(奇妙な表現ですが)漂ってきて、気配として感じられるようになってきます。感覚としては、体にじょじょに内容を染み込ませていくという感じです。

哲学書など、一行一行すべてが何を言わんとするかわかる本なんかありません。

ではどうするか? 一度読んで分からない本は、何度も読むしかないというのが私なりの答えになります。もちろん字面はいくらでも読めるが、その深い意味は数十回読んで初めてわかることが多いのです。

たとえば、西田幾多郎の『善の研究』はなかなか難解でしたが、わからないなりに、10回近く読んでみると、著者の意図がなんとなく伝わってくるのですね。


ナンカイナンカイ


難しい本には、必ず難しいキーワードがあります。たとえば、カントなら「アプリオリ(先験的)」とか、西田幾多郎なら「絶対矛盾の自己同一」とかがそれに当たります。本を開いて、そのキーワードが何回出てくるかに注意してみてはどうでしょうか?

キーワードが出てくるたびに、「おっ、出たぞ!」「出た、出た」「そろそろ出るんじゃないか、やっぱり出た!」といった具合に勝手に盛り上がって面白がるのです。

私の読書体験では、難解な哲学書を読む場合、「特定の難解なキーワードが何回出てくるか」で勝手に面白がり、そこから脳に「面白がる」クセをインプットするようにしています。この技を、「ナンカイ×2(難解、何回)」と名づけています。

馬鹿馬鹿しいようですが、この方法によって、ページを繰るスピードは速くなり、内容そのものも自然とあなたの中に入ってきます。

続いて、難しい本への対処法としては、何よりも要約を読むことに尽きます。そして、最高の要約とは、基本的に「まえがき」であり、「目次」です。ぜひ、「まえがき」や「目次」を熟読してください。それから、古典なら解説書の類があることが多いので、それを読む。その本に書評が出ているなら、それを読む。アマゾンのレビューにざっと目を通すのも効果的です。

要は、その本に正面から体当たりしても歯が立たないのなら、横から攻めるということが大事でしょう。


難解なのか、悪文なのか


私の読書体験でいうと、ヘーゲルの『精神現象学』や、カール・ポラニーの『大転換』などは、500ページ以上の大著であり、最初は難しいかなと思ったものの、読んでみると意外に面白くてスイスイ読め、結局は1日で読了できました。

実体験に即していうと、難解だと思う本は岩波文庫の哲学書に多いものです。たとえば、カントの『純粋理性批判』とか、ハイデッガーの『存在と時間』、ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』などは、内容そのものも高度だということもありますが、本当は訳文のわかりにくさが真犯人です。これまで難解だとされてきた書物のほとんどは、悪訳がその原因ではないかと思います。哲学書などの翻訳は「悪訳」が多いといわれていて、私の読んでいる範囲でも実際にそうだと思わざるをえないものもあります。

その意味で、光文社古典新訳文庫などの功績は大きいのです。逆にいうと、日本語で書かれた本は、日本人ならなんとか意味はわかるはずで、さっぱり理解できない本というのは悪訳の翻訳本なのだと、私は図々しく解釈しています。

日本語でも埴谷雄高の『死霊』は形而上的な議論が多くて難解でした。それと柳田國男は面白いけど、同じ民俗学の巨人である折口信夫は難しいと思います。万葉仮名も混じって、文体そのものが読みにくい。

しかし、折口信夫は日本人の心を知るうえで最重要思想家の1人でもあるため、私にとっては折口の本をスイスイ読みこなすことが、現在の課題であり、楽しみでもあります。

そのために同じテーマでやさしい内容のものを先に読む。現在では、アマゾンに類書が紹介されていますし、キーワード検索で類書を探すことも簡単です。そのように、簡単な本を何冊か読んで、その分野の基本的知識を得る。その後で、万全を期して「本丸」である難しい本に挑戦するとよいでしょう。