技術篇
第六講

アウトプットをイメージする

3つのケースを考えてみる


読書が不明確になるのは、アウトプットを想定できていないということが理由のひとつとしてあげられます。

つまり、なんのための読書かというのが自分の中ではっきりしていると読書の仕方もおのずと明確になってくるということです。アウトプットすることを想定して読書をすれば、インプットも必ず上手くいきます。

たとえば、次にあげる3つのケースでは、読書の目的がまったく違ってきます。

なんのための読書?


【例1】の場合であれば、きちんとした礼状が書ければよいのであり、その部分だけを読み、あとは自分でアレンジして使えばいいので、本を参考にするだけで問題は解決します。

【例2】などは私の経験にもありますが、打ち合わせや対談の相手となる人の本を読み、その人がどのような考え方を持ち、どのような意見を表明してきたのかを知っておく必要があります。これは【例1】のような部分読書では対応できません

また、打ち合わせや対談の相手の人の本を読んでおくのは最低限のマナーだと思っていますから、本を通読し、全体の内容を把握しておくのです。読書の目的としては、相手の主張を大づかみで把握するために本を読みます。目次読み&まえがき読みが顕著に効果を発揮してくれるケースです。

【例3】では、本を読み始めて冒頭にヒントとなる回答が出てくることもあれば、すべて読み終わっても、答えは出てこなかったということもありえます。もしかすると、赤線を引いた箇所を再読しているとき、突如「解答」が湧きあがってくるかもしれない。

このように、本を読むことの目的がはっきりしてくると、間違いなく読み方が変わります。全体を精読する必要があるのか、部分的な読み方で事足りるのか、内容はどの程度つかむべきか、本のどの部分を重点的に読むか……。これらもアウトプットの仕方によって変化します。

私は団塊の世代の人たちに聞いたことがあります。マルクスの『資本論』なんて面白いものではないのに、当時の学生は指を鳴らしながら、一行ごとにその世界が理解できた。これはなぜか? 団塊世代の何人かが言うには、目的があったというのです。

【具体例あれば入れる】

このように何か目的意識があると、どんなに難しい本でも面白く読めるのです。関心もなく、目的意識もなかったら、『資本論』を読めと言われても嫌なだけです。


問題意識を読書と切り結ぶ


読書がなんのためになされるのかをできる限り具体的にイメージしてみてください。第1講に登場したAさんのケースであれば、「経済に強くなるため」では、やや抽象的すぎます。

「日本の不況の理由を知るため」とか、「上司に内容を問われたときに即答するため」といった具体的イメージが必要です。そのイメージをつねに念頭に意識しておいてください。

「日本の不況の理由を知るため」に読むのと、「上司に内容を問われたときに即答するため」に読むのとは、おなじ本を読んだときでも、読み方が変わってきます。

私の場合、アウトプットは執筆のためであり、講演のためであり、社員教育のためであり、さまざまな目的が想定されます。経営者ですから、日頃からいろんな問題を抱えていて、その解決策を読書にも求めているからです。私が本の内容を実益に結びつけている、というのはこうした点です。

「今度の施設はどんなデザインにしようか」「新しい宣伝の方法はないか」「新入社員をどのように教育すべきか」。多くの具体的な問題意識を抱えているので、そのヒントになるような内容を読んだとき、「これだ!」とひらめきます。

こうしたことは、ふだんから問題意識を明確にしておくことが大切です。


「いつもいつも考えている」


リンゴが木から落ちるのを見てニュートンは万有引力を発見したというエピソードは眉唾ですが、ニュートンが万有引力について考え続けていたことは事実です。

ニュートンは、「どのようにして万有引力を発見したのですか?」という質問に対して、こう答えたそうです。

「発見にいたるまで、いつもいつも考えていることによってです。問題をいつも自分の前に置き、暁の一筋の光が射し込み、それから少しずつ明るくなり、本当にはっきりしてくるまで、じっと待っているのです」

結局は、明確な問題意識と持続的な集中力ということでしょう。ある1つの問題について、すべての精神を集中して考え続けること、それが史上最大の発見につながったのです。

もちろん、ビジネス上の問題解決は、万有引力の発見とは比べ物になりませんが、持続して考え続けることが必要である点はどちらも同じです。

そして、持続して考え続ける最高の方法が、そのテーマの本を読み続けることなのではないでしょうか。読書によって、いつもその問題を考え続けることができる。いつかは、その人の心の中でリンゴが木から落ちる瞬間が訪れるのだと思います。

もちろん、そのものズバリの答えが、本の中にはっきり書いてあることもあります。

でも、別に答えが書いていなくともよいのです。大事なことは、読書によって、その問題を集中して考えられること、そして持続して考えられることができる。そのことのほうが、もっと大事なのです。


「他人の頭」の使い方


哲学者ショーペンハウエルの名著『読書について』には、「読書とは他人の頭を使って考えることである」という有名な言葉が出てきます。

彼は、他人の頭ばかり使っていたのでは馬鹿になるので自分の頭を使わなければならないと述べています。別に他人の頭を使って考えたってよいのですが、やはり自分で考えて体得した思考、思想のほうが強靭です。

私は、読書とは、他人の頭も使えるけれども、自分の頭を使う手段にもなり得ると思います。

私が不遜にも哲人ショーペンハウエルと違う意見を持つのは、やはり学者ではなく、ビジネスマンだからでしょう。ビジネスマンとしての読書の体験上、そう思うのです。

不思議なもので毎日、最低でも10回は「これだ!」とひらめく瞬間があります。だから、わりと実益に結びついているほうかもしれません。

読書によって、私の行なっている事業へもたらされた利益は限りなく、私は人生のあらゆる難問を読書によって切り抜けてきたと思っています。これが経営と読書とを結びつける、私なりのアウトプットのイメージ化です。


「まとめ」は意外と難しい


しかし、実際の読書においては、アウトプットが明確になっていないことも多々あります。そんなときにはどうしたらいいのか?

どんな人でも実行できるアウトプットは、「こんな本を読んだよ」「この本はこんな趣旨のことを指摘していたよ」などと、近くの人に話すことです。友人でも会社の同僚でも家族でもいいから、読んだ本がどういう本だったかを手短にまとめ、3分程度で説明するようにしてみてはいかがでしょうか。すると、これがなかなか難しいことに気づきます。

さっきまでしっかりと読んで、きちんと理解をしていたはずなのに、さらに「この考え方はすごい!」なんて感心して、自分でも実行してみようと決意いたはずなのに、人に伝えようとすると、しどろもどろになってしまって、どこがよかったのかを端的にまとめられない。そして、「あれっ? 本当にこの本で感嘆したんだっけな?」なんてことになります。

自分の中で内容がきちんと整理され、重要な部分とそうでない部分が明確になっていないと、3分で相手に伝えることはまずできません。

こうして人に伝えることを前提として、読書に臨むと、相当の集中力を持って取り組めることに気づきます。これもアウトプットの意識化なのです。

次の方法論としては、書くことです。読んだら、書く。読んだら、書く。これの繰り返しで、身につけていきます。

400字詰め原稿用紙、数枚ぐらいで充分でしょう。何を書いたらいいかわからなければ、書評を書いてみる。感想文でもいいでしょう。または粗筋でもかまいません。

じつは粗筋を書くとうのは相当に難しい作業であると、橋本治さんと内田樹さんが書いています。なるほど、それは事実でしょう。「1000字で、『坊っちゃん』の粗筋を書け」といわれたら私でも難しいものです。とにかく書くというアウトプットのイメージ化が大切です。

粗筋や感想文、書評を書いた時点で、その本を自分のものにしていることになるはずです。自分で書いたことは必ず頭に残ります。

発表するあてがなくても書いておくことは重要です。書くことで、頭の中が整理され、どの引き出しに何が入っているかがはっきりとしてきます。どの引き出しに何が入っているのかを忘れてしまって、あっちを引っ張り、こっちを引っ張り……。これならまだマシなほうで、引き出しに入れていたことすら忘れてしまって、「ああ、そうなんですか」なんて感心しているだけ。本当はそのことについての本を読んでいたはずなのに。これではせっかくの読書がもったいない。こうして書き溜めていった資料、そしてなによりもそうした訓練はいつかあなたを助けてくれるはずです。