童話篇
第一講

人魚姫

イソップ寓話のメッセージ

童話といえば、だれでもイソップ・グリム・アンデルセンの「世界三大童話」を思い浮かべることでしょう。わたしもそうですが、だれでも一種の通過儀礼としてこの三大童話を子ども時代に読んでいるはずです。

今でも、書店に行くと、児童書コーナーには必ず置かれています。それも、街の中心にある大型書店だけではなく、地方の商店街にあるような小さな書店やスーパーの書籍売り場などにも置いてある。

それだけではありません。小児科医院の待合室にもありますし、飛行機にさえ子どもの乗客用にイソップ・グリム・アンデルセンの絵本が用意されています。

これは、もちろん日本だけの現象ではありません。ヨーロッパはもちろん、アメリカでもアジアでも、この三大童話は子どもたちに愛され、ある意味では読書のグローバル・スタンダードとさえいえます。

しかし、三大童話の性格はそれぞれ異なります。イソップ寓話は紀元前600年ごろのギリシャで成立したとされています。イソップはギリシャ名をアイソポスといいます。奴隷出身でのちに自由の身となり王に仕えたとか、人をからかったために死刑になったとか、彼の人生にまつわる説はさまざまです。そもそもイソップという個人は存在しなかったともいわれ、多くの人々の書き継いだものが集められて寓話が成立したという見方もあります。

イソップ寓話の特徴は、登場するのが人間ではなく動物であるということ。そして、動物の姿を借りて人間の愚かさを風刺的に描き、そのうえで人間関係をよくするヒントを示している点にあります。

「ウサギとカメ」とか「北風と太陽」とか有名な寓話がたくさんありますが、そのメッセージは「努力すれば報われる」「ウソをつくと天罰が下る」「他人にやさしくすると、自分にもよいことがある」など、非常にシンプルな「人の道」ともいえる教訓です。

いずれにせよ、「イソップ童話」は子ども向けに書かれたものではありませんでした。

シンデレラは「死の娘」?

「グリム童話」は、グリム兄弟が採集した昔話をあらためて文章にした作品群であり、いわば民俗学の研究素材とでもいうべきものです。これも厳密にいうと意識的に童話としてまとめられたわけではありませんでした。

兄のヤーコブ・グリムと弟のヴィルヘルム・グリムはともに言語学者でしたが、協力して『ドイツ語大辞典』などの偉大な業績を残しました。彼らはまた、ヨーロッパに伝わる民話を広く集めて、『グリム童話集』を編集しました。

このグリム童話は、主に「死と再生」をテーマにした作品が多いことで知られています。たとえば、「赤ずきんちゃん」は、オオカミの腹の中からよみがえりますし、「白雪姫」や「眠り姫(いばら姫)」は、まさに仮死状態で眠りつづけている王女が王子のキスによって目を覚まします。

そして、グリム童話といえば「シンデレラ」が有名ですが、もともとは「灰かぶり」という名前でヨーロッパ全域に存在した民話でした。灰とは死のシンボルです。『グリムはこころの診察室』(平凡社)の著者であるユング派心理学者の矢吹省司氏によれば、擬似埋葬として灰をかぶせるのは太古からのならわしであり、灰かぶりの娘であるシンデレラとはじつは「死の娘」であったといいます。

このように、イソップもグリムも厳密にいうと童話ではありません。残る「アンデルセン童話」のみが、正真正銘の童話といえます。グリムのように昔話に根ざした部分もありますが、基本的にはアンデルセン自身の創作として156編の童話が書かれています。これらは正しくは「エーヴェンチュア」といいます。「幻想色豊かな短編形式の物語」という意味だそうですが、まさに短編ファンタジーそのものといえるでしょう。

童話の王様・アンデルセン

わたしは、一人の作家としてはハンス・クリスチャン・アンデルセンこそは世界でもっとも有名人なのではないかと思います。実際に彼ほど、さまざまな国の子どもから大人にまで広く知られている書き手は存在しません。

なにしろ、ゲーテ、シェィクスピア、スタンダール、ドストエフスキー、夏目漱石といった世界の文豪たちよりもアンデルセンの名は広く知られ、その作品は多くの人々に読まれているのです。世界でもっとも有名な書き手といっても過言ではないでしょう。「みにくいアヒルの子」や「裸の王様」といった彼の作品の名を聞けば、だれでもそこに込められているメッセージを即座に理解することができます。これは、かなりおどろくべきことです。

そして、アンデルセンは「裸の王様」ならぬ「童話の王様」と呼ばれました。彼は童話という小さな枠の中にあらゆる舞台を取り入れ、人間の本性を見極めようとしました。

童話の王様は、その後の多くの童話作家たちにインスピレーションを与えてきました。いわゆる「近代児童文学」は、1860年代にはじまったとされています。その前史として、一八一二年にグリム兄弟が最初の童話集を刊行し、1835年にアンデルセンが第一童話集を刊行しています。アンデルセンの作品集は1846年に初めてイギリスで出版され、すぐにイギリスの児童文学にとけこみました。こうして、19世紀前半のグリム兄弟とアンデルセンの仕事は、イギリスにおいてフェアリー・テイル、すなわち妖精物語の人気を復活させ、ファンタジーの時代の幕を開いたとされています。

では、1860年代のイギリスで何が起こったか。まずは、キングスレイが『水の子』を、ルイス・キャロルが『不思議の国のアリス』を、ジョージ・マクドナルドが『北風のうしろの国』を書きました。いずれも、ファンタジーの古典とされる名作です。アメリカでは、オルコットの『若草物語』が刊行されました。

このあとも、80年代にかけて、イギリスではスティーブンソンが『宝島』を書き、フランスではマロが『家なき子』を書き、イタリアではコッローディが『ピノッキオの冒険』を、アミーチスが『クオレ』を書き、アメリカでは国民作家であるマーク・トウェインが『トム・ソーヤーの冒険』を書きました。

こうして見ると、現在まで日本でも読みつがれてきた児童文学の名作がずらりと並んでいることがわかります。これらの作品がすべて1860~80年代に集中して誕生したことも興味深いですが、その源流にはアンデルセンという童話の王様がいたわけです。

これほど児童文学の世界において巨大な存在感を示すアンデルセンですが、最初の童話集を出したとき、本人はそんなに価値があるものを自分が世に送り出したとは思っていなかったといいます。

「もう書かないほうがいい」

彼はもともと小説家をめざしていました。若き日にイタリアを旅しながら湧きあがった構想を書き記した『即興詩人』がアンデルセンの出世作でした。日本では、かの森鴎外が翻訳したことで知られています。

でも、アンデルセンは小さいころからお話や物語を聞くのが大好きでした。また、自分が空想した物語を人に聞かせたりしていました。しかし、本格的に小説や詩や劇を書くようになってからは、童話には手をつけないでいたのです。それが、ふとしたことから童話を書き下ろしたいという気になったようです。

こうして、『即興詩人』が刊行されたわずか1カ月後の1835年5月にアンデルセンの最初の童話集である『子どものための童話集』が世に出ました。この中には、「火打ち箱」「小クラウスと大クラウス」「豆つぶの上に寝たお姫さま」「イーダちゃんのお花」の四つの童話が入っています。

前の3つの話は、民話などをもとにアンデルセンが自分流に語ったものでした。最後の話だけは、彼が小さな女の子に話しているうちにできた創作物語だったそうです。

ほら話のような「豆つぶの上に寝たお姫さま」は小気味よいテンポで語られ、心地よく終わります。最後の話は、「『かわいそうに、あたしたちの花たち、すっかり死んでしまったの!』と、小さいイーダがいいました」ではじまります。アンデルセンは、まるで『新約聖書』のイエスのように、語り言葉でさまざまな話を人々に伝えたのです。

この最初の童話集が出た年のクリスマスには、もう第二童話集が出されました。この中には、「親指姫」「いたずらっ子」「旅の仲間」が収められています。「親指姫」というサンベリーナの物語は、よく知られています。

魔女からもらった大麦の粒から花が咲いて、その中には親指ほどの大きさのかわいい女の子があらわれます。その子がヒキガエルにさらわれて、その後もいろんな生きものからたいへんな目に遭わされます。つらい経験もしますが、最後には幸せが待っています。ここには、いくら不幸が降りかかっても、いつかは救われるのだというアンデルセンの基本思想をすでに見ることができます。

こうして、たてつづけに刊行された2冊の童話集は、評価が今ひとつでした。「こういうものはつまらないものだから、もう書かないほうがいい」と忠告する人々さえいました。児童文学そのものへの認識が低かったという時代背景もあったでしょうが、アンデルセンは非常に落胆し、1年ほどは童話を書かない日々を送りました。

大成功した『人魚姫』

でも、そのうち、彼の心の中には新しい童話の構想が湧いてきました。それは、いくら押さえようとしても押さえられないほど心の底から湧きあがってきたため、アンデルセンはその話をついに書き上げました。この作品こそ、かの『人魚姫』です。アンデルセンはスペイン起原で風刺に富んだ「皇帝の新しい服」(「裸の王様」)という作品と一緒にして、1837年に『子どものための童話集』第3冊を出しました。この本の序言の中で、アンデルセンは、自分の童話がこの1巻のみで終わるかどうかは、ひとえにこの本が世間に与える印象にかかっていると悲壮な決意を述べています。しかし、幸いにして、この童話集は多くの人々に受け容れられ、とくに『人魚姫』は非常に好評でした。

『人魚姫』の成功によって、アンデルセンはもう迷いませんでした。その後は、自信をもって童話に取り組み、毎年のように童話集を出版しました。そして、世間の人々は新しい彼の童話を心待ちにするようになりました。

こうして『人魚姫』は、アンデルセンに童話集をつづけさせるきっかけになったのです。同時にアンデルセンは、こういうふうに創作童話を書き進めていけばいいのだという自信をこの作品で得たようです。

『人魚姫』のストーリーは、ディズニーが「リトル・マーメイド」としてアニメ映画化したこともあり、よく知られています。人形の王様には6人の美しい姫がいました。末っ子の姫は15歳の誕生日に海の上に昇っていきますが、そこで船の上にいた人間の王子を目にします。その後、人魚姫は嵐のために難破した船から救い出した王子に恋をしてしまいます。

王子と一緒にいたい一心で人間になることを望んだ人魚姫は、海の魔女の家を訪れます。そこで、自分の声と引きかえに人魚の尾びれを人間の2本足に変える飲み薬を貰います。魔女は、「もし王子がほかの娘と結婚したとき、おまえは海の泡となって消えてしまう」と人魚姫に警告します。さらには、人間の足で歩くたびに、人魚姫はナイフでえぐられるような痛みを感じるという運命をも受け容れます。

こうして人魚姫は王子と一緒の御殿で暮らせるようにはなりましたが、声を失って話せないため、王子は人魚姫が命の恩人であることに気づきません。それどころか、隣国の姫を命の恩人と勘違いしてしまい、王子は彼女と結婚することになります。

絶望した人魚姫の前に姉たちがあらわれ、髪と引きかえに魔女に貰った短剣を人魚姫に差し出します。そして、この短剣で王子を刺せば、流れた血によってふたたび人魚の姿に戻れることを伝えます。

しかし、愛する王子を殺すことなど到底できない人魚姫は、王子の結婚を祝福し、みずからは海に身を投げて泡に姿を変えます。そして、人魚姫は空気の精となって天国へ昇っていったのでした。

たった一日でいいから人間になりたい

このラストシーンには伏線があります。人魚姫が人間の世界への強いあこがれを抱きつつも、まだ海の魔法使いの家を訪れていなかったころ、年をとった祖母にたずねます。以下は、アンデルセンの原作から引用します。

「人間というものは、おぼれて死ななければ、いつまでも生きていられるんでしょうか?海の底のあたしたちのように、死ぬことはないんですか?」と、人魚のお姫さまはたずねました。

「いいえ、おまえ、人間だって死にますとも」と、おばあさまは言いました。「それに、人間の一生は、かえって、わたしたちの一生よりも短いんだよ。わたしたちは、300年も生きていられるね。けれども、死んでしまえば、わたしたちはあわ(傍点)になって、海の面に浮いて出てしまうから、海の底のなつかしい人たちのところで、お墓を作ってもらうことができないんだよ。わたしたちは、いつまでたっても、死ぬことのない魂というものもなければ、もう一度生れかわるということもない。わたしたちは、あのみどりの色をした、アシに似ているんだよ。ほら、アシは、一度切りとられれば、もう二度とみどりの葉を出すことができないだろう。

ところが、人間には、いつまでも死なない魂というものがあってね。からだが死んで土になったあとまでも、それは生きのこっているんだよ。そして、その魂は、すんだ空気の中を、キラキラ光っている、きれいなお星さまのところまで、のぼっていくんだよ。わたしたちが、海の上に浮かびあがって、人間の国を見るように、人間の魂は、わたしたちがけっして見ることのできない、美しいところへのぼっていくんだよ。そこは天国といって、人間にとっても、前から知ることのできない世界なんだがね」(矢崎源九郎訳)

 

おばあさまの説明を聞いた人魚姫は、どうして人魚は不死の魂をもつことができないのかと思います。そして、たったの一日でもいいから人間になれて天国に行けるのなら、人魚としての何百年をすべて失ってもかまわないとさえ思いつめるのです。

おばあさまは、そんな人魚姫を「そんなことを考えちゃいけないよ」とたしなめ、「わたしたちは、あの上の世界の人間よりも、ずっとしあわせなんだからね」と説得します。

それでも、人魚姫は人間の魂をもちたくて仕方がありません。結局、人魚姫は人間になりたいのです。これは心理学における「自己実現」の問題にもかかわっています。深層心理学者の矢吹省司氏は、著書『どうしてこんなに心が痛い?』(平凡社)において、次のように述べています。

「深い海底の人魚の世界は遊びの世界です。大人の労働とも、学校生徒の勉強とも縁のない世界です。濃密な母性愛に包まれて遊び戯れるばかりの幼児の世界です。誰もがかつて幼かったころそこに住み、そこから旅立った、存在の故郷です」 

人魚が象徴するもの

矢吹氏は、「人魚とは何か?」という問いに対して、人間的な「幼稚さ」や「未熟さ」であると答えています。人魚とは文字通り半人前の存在です。その身体の半分が魚なら、当然海の底にでも住みつくしかありません。海底を幼児の世界のシンボルと見るならば、人魚はそこに潜む「幼さ」「未熟さ」と解釈できます。つまり、人魚姫は人間になることによって自己実現を果たし、幼児から大人に成長したかったのかもしれません。

また、「大人になる」ということを単に心の問題としてだけではなく、体の問題、性の問題としてとらえることもできます。15歳の人魚姫はまさに「思春期を迎えた処女」であり、人間に変身したあとの彼女は「処女喪失後の女性」を表わしているという見方があります。人魚の下半身は尾びれによって両足が閉じていますが、人間の下半身は両足を開くことができます。このように「二本足」とは「処女喪失」を暗示しているというのです。

しかし、人魚姫は「人間」になることだけにあこがれたのではなく、「天国」にあこがれたのだという見方もできます。人魚のほうが長生きできるのに、どうして人間となって天国に行きたかったのでしょうか。そこには、神による「救い」があるからです。神によって救われた魂は永遠の生を獲得することができるからです。まさに、「救い」こそは「幸福」を超越した恵みであり、キリスト教の根幹となる思想でもあります。

おばあさまの説明から、人間とはキリスト教徒であり、人魚とは異教徒であることがわかります。いくら長生きして海の底で楽しく遊んで暮らしていても、そんな「幸福」など、神による永遠の「救い」に比べれば刹那の「快楽」にすぎないのです。本当の「幸福」とは「救い」によって初めて訪れるというのがキリスト教的幸福感です。人魚姫は「人魚のほうが人間よりも恵まれている」というおばあさまの言葉を理解してはいましたが、それでも「救い」のない「快楽」の虚しさを感じてしまったのです。だから、最後に救われて天国に行くために人間になりたかったのではないでしょうか。

「愛」と「死」の物語

このように『人魚姫』には、「救い」や「天国」といったキリスト教の重大なテーマが出てきますが、これらのテーマはあとの『マッチ売りの少女』でさらに深く、くっきりと描かれています。わたしは、さまざまなテーマを含みながらも、『人魚姫』の最大のテーマとは、やはり「愛」だと思います。自分の命など犠牲にしても惜しくないほど相手を想う究極の「愛」を描いていると思います。

愛は、人間にとって、もっとも価値あるものです。実話にしろ、フィクションにしろ、さまざまな愛の物語が、わたしたちの魂を揺さぶってきました。

少し前には、恋人の少女が白血病という難病に冒されたというストーリーの純愛小説『世界の中心で、愛をさけぶ』に多くの人々が感動しました。

「韓流(ルビ・はんりゅう)」も多くの日本人のあいだに感動を呼びました。ヨン様ことぺ・ヨンジュンが主演したドラマ「冬のソナタ」に多くの人々が涙を流しました。同じく彼が主演した映画「四月の雪」や「八月のクリスマス」など、韓国映画には感動の名作がたくさんあります。

韓国映画に限らず、ハリウッド映画の「タイタニック」や「きみに読む物語」にしろ、日本映画の「ホタル」や「男たちの大和」にしろ、ハンカチなしには観れなかった人がたくさんいたようです。

さて、これらの映画には、ある一つの共通項があります。すべての作品が、「愛」と「死」の二つのテーマをもっていることです。かつて、その名も『愛と死をみつめて』という若い男女の往復書簡集がベストセラーとなり、吉永小百合主演で映画化されたことを思い出す人もいるかもしれません。

「愛」と「死」は、あらゆる人にとって最大のテーマではないでしょうか。考えてみれば、古代のギリシャ悲劇からシェィクスピアの『ロミオとジュリエット』、伊藤左千夫の『野菊の墓』といった古今東西の感動の名作は、すべて「愛」と「死」をテーマにした作品であることに気づきます。

「愛」はもちろん人間にとってもっとも価値のあるものです。ただ、「愛」をただ「愛」として語り、描くだけではその本来の姿はけっして見えてきません。そこに登場するのが、人類最大のテーマである「死」です。「死」の存在があってはじめて、「愛」はその輪郭をあきらかにし、強い輝きを放つのではないでしょうか。「死」があってこそ、「愛」が光るのです。そこに感動が生まれるのです。

逆に、「愛」の存在があって、はじめて人間はみずからの「死」を直視できるともいえます。

ラ・ロシュフーコーという人が「太陽も死も直視できない」と有名な言葉を残しています。たしかに太陽も死もそのまま見つめることはできません。しかし、サングラスをかければ太陽を見ることはできます。同じように「死」という直視できないものを見るためのサングラスこそ「愛」ではないでしょうか。

だれだって死ぬのは怖いし、自分の死をストレートに考えることは困難です。しかし、愛する恋人、愛する妻や夫、愛するわが子、愛するわが孫の存在があったとしたらどうでしょうか。人は心から愛するものがあってはじめて、みずからの死を乗り越え、永遠の時間の中で生きることができるのです。

いずれにせよ、「愛」も「死」も、それぞれそのままでは見つめることができず、お互いの存在があってこそ、初めて見つめることが可能になるのではないでしょうか。

人魚姫の痛み

『人魚姫』の中にも、これ以上ないほど「愛」と「死」のテーマが輝きを放っています。とくに、「愛」の本質を描いているという点において、『人魚姫』を超える物語はなかなかないと、わたしは思います。

なぜか。それは、『人魚姫』は、「愛」とは「痛み」をともなうものであることをあきらかにしているからです。人を心の底から真剣に愛すること、それはけっして「楽しさ」や「うれしさ」などの感情ではなく、「痛み」や「切なさ」といった感情に結びついています。

作家の角田光代氏は、少女時代に愛読した『人魚姫』を大人になってから読み返してみて、その「痛み」の感覚がひどくさりげなく描かれていることにおどろいたそうです。だれかを愛すること、犠牲を払うこと、自立すること、孤独を知ること、傷つくこと、だれかを憎むことや守ること、そして自分を憎むことと守ること。それらの、人が年齢を重ねていくことで否応なく知り、どうしても引き受けなくてはならない多くのことが『人魚姫』に描かれていて、おどろいたというのです。角田氏は、『別冊太陽 童話の王様アンデルセン』(平凡社)所収の「痛みの感覚としての窓」に次のように書いています。

「こどもだった私にそれらひとつひとつが理解できるはずもなく、ただ、物語の輪郭をなぞり、魔女に舌を抜かれる場面や、ナイフで刺すような痛みをこらえて彼女が踊る場面を思い描いては、直接こちらに向かってくるような痛みに顔をしかめ、最終的に海の泡になる彼女をかわいそうだと思っていた。すべては遠い場所にいる架空の人魚のお話なんだと思っていた」

しかし、大人になるにつれ、人はみな愛することや孤独を知っていきます。そうしたことを知るにつれ、童話からは遠ざかっていくわけですが、アンデルセンが描いた「痛み」が、幼いころにのぞきこんだ不可思議な窓のように思えると、角田氏は述べています。

『人魚姫』の悲しい結末には、アンデルセンの人生も反映しているといわれます。彼は一八五センチの長身でしたが、鼻が非常に大きく、ある意味で異様な風貌であり、初めて会った人はみなおどろいたといいます。アンデルセン自身も自分の容姿には強いコンプレックスを抱いていたようですが、そのためか失恋を繰り返し、生涯を独身はもちろん、童貞のままで終えたという説もあります。そんなアンデルセンの深い孤独が『人魚姫』には投影されているというのです。

敬虔なキリスト教徒としてのアンデルセン

たしかにそういった側面もあるかもしれませんが、わたしはさらに深く宗教の問題を見た場合、『人魚姫』という作品は興味深いと思えてなりません。キリスト教において「愛」は無上の価値ですが、仏教においては「愛別離苦」という言葉もあるように苦悩のもとであると考えられました。『人魚姫』において「愛」と「痛み」をセットとしたことは、アンデルセンが宗教の枠を超えて普遍思想を求めるファンタジー作家であることを示しているようにも思えます。

アンデルセンは、非常に敬虔なキリスト教徒であったとされています。その信仰の基礎は、神の存在、正しい行ないをすることの重要性、そして魂の不滅などでした。アンデルセンが好んで聖書から引用した言葉の一つは、「汝ら幼児の如くならずば、天国に入るを得じ」でした。これは、彼の代表作の一つである「雪の女王」でもっともいいたかったことでした。

しかし、アンデルセンは、宗教上の教義について根強い意見をもった人々からよく非難されました。たとえば、デンマークを代表する哲学者であるセーレン・キルケゴールの『不安の概念』を読んだあと、アンデルセンはヨナス・コリンという若者との神学論争に巻き込まれました。ヨナスは、「神とキリスト教は同じものではなく、一緒にはできない」と断言しましたが、アンデルセンは日記に次のように記しています。

「神は全能で、絶対唯一の力なのだ、と私は言った。『それはキリスト教じゃあない。ユダヤ人だって神の存在を信じていますよ。でも、キリストの存在は信じていません!』というわけで、私は、神が、新しい神キリストによってキリスト教から追放されたことを、はっきりと知らされたわけである」(高橋洋一訳)

また、1871年10月のある晩、アンデルセンはたまたま、神とキリスト、聖母マリアなどについての自分の意見を述べていました。すると、敬虔なキリスト教徒のある婦人が、「まあ、それじゃあ、あなたはユダヤ人でいらっしゃるにちがいありませんわ!」と叫んだそうです。アンデルセンは、「私はキリストを、ほかの者たちのわが身を見習うように求めるだけの資格がある人間として、愛しもし、ほめ讃えもし、また彼に感謝もしているのです」というと、その婦人はわっと泣き出して、部屋から飛び出して行ってしまいました。アンデルセンは、「たいへんな騒ぎだった」と日記に書いています。このあたりは、キリストを神ではなくあくまでも天才的な人間と見た父親の考え方を受け継いでいるように思えます。

1864年7月10日の日記に、アンデルセンは次のように書いています。冒頭の部分は、『人魚姫』を連想させます。

「苦悩と悲しみが私を深い海の上へと連れ出す。私はそこから引き上げられるのだろうか、それとも沈んでしまうのだろうか。宗教は、私の光、私の救い、私の信念である。信者たちがそうあってほしいと望んでいるように、神とイエスは一つなのだ、と信ずるとすれば、聖処女マリアは人間の中で選ばれた者に相違ない、ということになり、そうだとすると、私たちの代わりに神にお願いして下さいと、身を低くして彼女に祈ることだって、きわめて容易にできることになる。なんということを考えるのだ! 神よ、わが神よ! 汝の光で私の心の中を照らし給え、われを哀れみ給え。子どものような信頼の念をもってすがりつくべきあなたを、私は今にも放してしまいそうです」(高橋洋一訳)

イエスは神なのか、人間なのか

ここで、少し補足説明をしなければならないでしょう。アンデルセンは、いったい何に悩んでいるのか。それは、キリスト教という巨大なファンタジーに対して、どうしてもリアリティを感じることができないことです。それゆえ、キリスト教を心の底から信じることができないことに苦悩しているのです。

そういえば、アンデルセンの父親はイエス・キリストが神であることを信じない無神論者でした。彼は、イエス・キリストについて「神ではなく、単に偉大な人間である」との発言をしたことで知られています。父親の言葉がアンデルセンの心に影響を与えたことはきわめて自然だといえるでしょう。

キリスト教はユダヤ教から派生した宗教であり、キリスト教のあとにはイスラム教も誕生しました。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの宗教はいずれも源を一つとするのです。信仰の対象も、ユダヤ教のヤハウエ、キリスト教のゴッド、イスラム教のアッラーは基本的に同じ唯一絶対神をさします。

そして重要なことは、キリスト教において、イエスは「救世主」です。つまり神と同等の存在ですが、ヤハウエのみを絶対神とするユダヤ教の立場ではそれを認めません。イエスはあくまで一人の人間にすぎないのです。また、イスラム教においてはイエスもムハンマドも神の言葉を預かる「預言者」にすぎません。ただし、ムハンマドはイエスを超える最終預言者とされます。

イエスを救世主と見るか、預言者と見るかは大問題です。キリスト教徒は、よく「主イエス」といいます。「イエスは主である」とは、「イエスは神である」という意味なのです。マリアという母親から生まれた人間であるイエスが、同時に神であるのか。これこそ、キリスト教における最大の論点であり、いくたびとなく論争が繰り広げられてきました。

イエス・キリストは神であるという教義にユダヤ教やイスラム教は、真っ向から反対しました。イスラム教においては、唯一神アッラーの存在がすべてです。そのほかにキリストなどという神を立てるようでは一神教とはいえないとして、キリスト教を激しく批判しました。イエスもただの人間であり、それはムハンマドも同様です。ただし、イエスもムハンマドも偉大なる預言者なのです。

イスラム教は、イエスは神であるという教義を否定するだけではなく、父と子と聖霊、つまり神とイエスと聖霊とは一体であるという「三位一体説」をも否定します。一神教の神のほかに、キリストという「神」を立てると二神教になるではないか。そのほかにさらに聖霊などというものが存在すれば、三神教ではないかというのです。

また、キリスト教のカトリックにはマリア信仰まで存在します。中世期にゲルマン人やケルト人への布教に著しい効果のあったマリア信仰は、キリスト教の教義的にはたいへんな矛盾を抱えています。ちなみにプロテスタントはマリア信仰を否定する立場をとっています。

このようなキリスト教の宗教としての存立基盤ともいうべき大問題の前に、アンデルセンは立ち往生し、非常に悩んだのでした。つまり、彼はキリスト教のファンタジーをそのまま素直に信じることができなくなったのです。それは、イスラム教の物語である『アラビアンナイト』を父親から買い与えられて、幼少時代の愛読書としていたことも一因かもしれません。また、彼が人類史上に残るハートフル・ファンタジー作家であったがゆえに、リアリティのないファンタジーをどうしても心が受け容れることができなくなったためかもしれません。

生涯にわたって宗教の問題に悩んだアンデルセンは、ある意味でキリスト教文学の最高傑作ともいえる童話を書き上げました。それが、次に紹介する『マッチ売りの少女』です。